ジャック・ドーシー(Jack Dorsey)

ジャック・ドーシー(Jack Dorsey)

ジャック・ドーシー氏を日本人でどのぐらいの人が知っているでしょうか? おそらく、知名度は低いのではないかと思いますが、SNSのTwitterは、知らない人はあまりいないですよね。

そのTwitterというシステムを考案&世に広めた人になります。

この方、現代のアメリカIT長者の一人になるわけですが、ちょっと一風変わっているんですよね(笑)

では、どのように変わっているのか見ていきましょう。

彼の生い立ち

ジャック・ドーシーは1976年にアメリカのミズーリで、レストランを経営する父親とコーヒーショップを経営する母親との間に生まれました。彼の母方祖先は、イタリア系ということです。

   

8歳でマッキントッシュに触れ、10歳でIBMパソコンに精通します。コンピューターが強くなったことの一因には、幼少の頃に言語障害があり、人とのコミュニケーションが上手くできなかったから、というのもあるようです。また、そのことで物事をよく観察する洞察力を養うようになり、言葉の限界と可能性を感じたといわれています。

ジャックさんの両親は粘り強くスピーチのトレーニングとセラピーを行い、就学するころには言語障害を克服したそうです。しかし、もともと内気な性格だったところへ、これがコミュニケーションについてコンプレックスを持つ要因となりました。

そして、14歳のとき、自動車の交通システムについて興味を持ち、今なお使われているようなタクシー会社のソフトウェアを開発しました。

ミズーリ工科大学からニューヨーク大学に編入しましたが、結局1学期分の単位が足りないだけで中退しました。 その在学中に、Twitterのアイディアを最初に思い付いています。

その後、あちこちの会社で契約社員のプログラマーとして食いつないでいました。その頃の彼は、髪はパンクロックを好み、鼻に付けたピアスと青く染めた髪、タトゥーがトレードマークでした。

 

「天才プログラマー」と「パンクな少年」の同居が素敵!

そして2000年(24歳)、ジャックはカリフォルニアに移り、オークランドウェブからタクシーや救急サービスを派遣するサービスの会社を始めました。

それに取り組んでいる間に、彼はディスパッチソフトウェアの広守備とインスタントメッセージングの容易さを組み合わせるサイトのアイデアを思いつきました。

それというのも、当時AOL(America Online)というインターネットサービス会社があって(2017年にYahoo!と統合)、そこが、ビジネスマン向けのチャットできるサービスをやっていたそうです。その中に、自身の今の状態を周りに発信する機能があって、それを若者たちが、今どんな音楽を聴いている、とか何を食べてる、など個人的なことに使っているのをジャックは見たそうです。そこで、「へぇー、人間とは、自分の今の状態を人に言いたいんもんなんだ・・そんなニーズがあるんだな」と思った。

彼は、人間を観察してその中からエッセンスだけを取り出す、という能力に非常に長けていたんですね。

Twitter社の黎明期

ジャックはそのアイデアを武器に、シリコンバレーのOdeo社にコンセプトを提案して働きかけました。 オデオ社は、ポッドキャストのプラットフォームをつくろうとしてた会社ですが、ちょうどアップル社が同業界に参入してきたことで、業績が落ちて会社が破綻しそうになっていました。

このアイデアは、Odeoの共同設立者であるEvan Williamsと、同社の幹部Biz Stoneに好評でした。彼のアイデアを元に、ビズ・ストーンが当初 ”Status” と呼ばれたTwitterのプロトタイプを2週間でつくりあげました。

Jackが書いたTwitterの構想

 

そして、2006年、エヴァン・ウィリアムズ、ビズ・ストーンらと共にObvious社(現Twitter社)を設立することとなったのです。(30歳)

Twitterは、今でこそ画像とか動画など貼り付けられたり、いいね、リツイートなど、いろいろな機能がありますが、当時はテキストメインで140字という文字制限がある、というのが特徴のシンプルなものでした。サーバーにそれほど負荷がかけないで、違うキャリアー(携帯会社)同士でもできるようにしたのです。

Twitter社は、最初でこそ人々が勝手がわからずに、低迷していたのですが、ある時を境に爆発的に人気が出だします。すると、今度は接続が殺到してサーバーがダウンしまくるという事態が起こるようになりました。

会社が毎回大騒ぎになっている中でも、初代CEOだったジャックは、元々型にはまらないヒッピーな人間だったのもあって、夕方6時になると、ホットヨガやドレスメイキングのクラスに行ってしまって、会社にいない、ということが多々ありました(笑)

彼の心の中ではまだ、ファッションデザイナーとして生きていくのもいいな、と思ったりして、今後の道が定まっていないということもありました。

 

多才すぎても、一つの道しか選べないのは辛いわね。。

 

現実逃避的に「社外活動」に勤しんでいるようにみえるジャックに、エヴァン・ウィリアムズは愛想をつかし、CEOの役職を解任してしまいます。(32歳)

ジャック自身は、トレードマークだった鼻ピアスを外すなどして、自分なりに「努力しているつもり」だったようですが、急成長ベンチャーのCEOという役割は、彼には荷が重かったようです。

当時、Facebookのマーク・ザッカーバーグからTwitter社買収の話を持ちかけられており、それを前向きに検討していた最中に会社から放り出されたジャックはこれに怒りました。逆にFacebookに転職しようか、とも考えましたが、Facebook側が彼に適当なポジションを用意しなかったため、これも無期延期となりました。

解任されてしばらくは、旅行をしたりして休暇を楽しんでいたジャックでしたが、昔の上司ジムと、また定期的に話すようになっていました。ジムは、当時吹きガラスの職人をしており、お店やコレクターにガラスアート商品を売ったりしていました。

ある時、お客が現金を持っておらず、ジムは、クレジットカードでの支払いを受け付けることができなかったために、商品2000ドル分を売り損ねる、ということがありました。

その一部始終をその場で見ていたジャックは、

ジャック

ジャック

小さなビジネスでも、皆が持っているものでクレジットカード決済ができるようなモノをつくれないだろうか?

と考えつきます。

スクエア社を創立

そこで、square社を2009年に創業します(33歳)。Squareはスマートフォンがあれば使用できる決済端末を貸し出すことで店舗や個人事業主がクレジットカード決済を導入できるという革新的なサービスで、商売の規模にかかわらず誰でも簡単、手ごろに導入できるため、この賞品は驚異的なスピードで広がりました。

初期のものは、携帯電話のイヤフォンジャックに差し込んで使う

そしてSquareは創業わずか6年後の2015年に上場します。

ジャックはまた、2013年にウォルト・ディズニー・カンパニーの取締役にも任命されています。(37歳)

一方、ジャック・ドーシーが居なくなった後のTwitterはどうなっていたかというと、その後CEOに就いた元Odeo社のエヴァン・ウィリアムスも放逐され、トップの権力争いが絶えないで、5年間の間にCEOが4、5人変わる、といった状態になっていました。

Twitter社の収益自体は伸びていっていましたが、それも登録者数が4億人に届かず、FacebookやInstagram、WhatsUp、SnapChatなどに押されて、もはや頭打ちか、Twitterはオワコンなのでは?と伸び悩んでいました。

どうやってこの状況を打破していくか、誰がこの会社を救えるのか? が社内で話し合われた結果、「やはりあのジャック・ドーシーに戻ってきてもらうしかない」という流れになっていきます。

そこで、Twitter社は「Square社を辞めて、Twitter社のCEOに戻って欲しい」とジャック・ドーシーにアピールします。以前、解任しておいて、それは少々虫が良すぎるお願いにも聞こえますが・・案の定ジャック・ドーシーは、

ジャック

ジャック

Square社のCEOを兼任させてもらえないのであれば、Twitter社には戻らない

と主張します。Twitter側は、結局それを飲んでジャックは2015年、Twitter社のCEOに復帰しました。(39歳)

そして新たな境地へ

しかし、2021年11月29日には、そのTwitterのCEOを辞任したと発表しました。(44歳)その理由は、彼も述べていないし、詳しくはわかりません。そもそも彼が戻ってきてから、Twitter社の業績を上げることに貢献できたのでしょうか。

一説には、Twitterは当初人々の集う楽しい場として提供したものが、近年政治的になりすぎ、フェイクニュースや陰謀論、ヘイトスピーチなどが横行するのに嫌気がさした、とも言われてます。

彼の当面の興味はビットコインにあるようです。
そして現在、Twitter社はイーロン・マスクが買うとか買わないとか?揉めております。

最近のニュースでは、ジャック・ドーシーさんは2020年4月、新型コロナウイルス感染症への対応のために寄付を行ったことが話題になりました。その時の寄付をしたのが「10億ドル(約1100億円)」と言われており、当時の資産の1/3にあたります。

お金にはそんなに執着がなさそうな人ですが、それにしても、資産の1/3とは、いくらお金持ちでもなかなかできるものではありません。
常に行っている瞑想や断食で、精神的にはおそらく、煩悩の世界のビジネスマンというよりは仙人の域に入っている人なのかもしれません。

最後に、彼がつぶやいていた名言のいくつかをご紹介しましょう。

ジャック

ジャック

私が学んだ最大の教訓は、とにかく始めてみるということです。今すぐ、小さくてもいいから、とにかく始めて、やり続ける、シンプルな原則です。

ジャック

ジャック

誰もがアイデアを持っています。でも本当に重要なのはそのアイデアを実行して他の人を魅了すること、そしてそれを糧にアイデアをブラッシュアップしていくことなんだ。

ジャック

ジャック

起業家として最も大切なことは、運に頼るのではなく、何が起きているかを正しく認識して、よりよいプロダクトにするにはどうしたらいいかを考え続けることなんだ。

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