暗黒の大学受験期

著者について

私は、小さい頃から学校の勉強が好き、という一風変わった?子どもだった。学校の帰りには、空中でずっと漢字を書いていたし(笑)音楽で新しい歌を習ったら、その旋律をリコーダーで吹いて帰っていた。

宿題が出たら、妹と家のこたつで嬉々としてやっていたし、読書感想文とかの宿題は大好物だった。(かといって、小学校高学年まで塾というものを知らなかったので、学校の宿題しかしていないけれど)うちの母は、勉強を全く押し付けない人で、私が勉強していると、「もう早く寝たらいいのに~」とか言っている人だったのが逆に良かったようである(^^;

先生が何かの理由でお休みの日に、授業が自主学習に切り替わって「教科書をまとめること」という課題が出たことがあった。クラスでは誰もやっていなくて、他の子たちは騒ぎまくっていたが、自分だけは黙々とやっていた。なんでこんな楽しいことをやらないんだろう?と思いながら・・(笑)ちなみに、この時から、「書いてあることの要点をまとめる」ということは得意だったようである。

それがずっと続いて、高校受験の時も受けた公私立高は4校とも合格した。そのうち、県立の地元進学校、郡山高校に進んだわけだが、そこでも、2年生の時だったか、定期試験の終わった次の日の朝7時に、図書室で勉強していて、先生に「好川さん!💦」と驚かれたのを覚えている。ここまでくると、変人ですね(^^;) しかし、勉強ばかりしていたのでなくて、演劇部と軽音部に属したり、外部では少林寺拳法の道場に通う、バイクの免許を取る、キリスト教会に通う(そこでドラムの練習が出来たから)、別のバンドを組む、などいろいろとしていて、青春もしっかり謳歌していた。

 

私の当時のモットーは「勉強のできる不良を目指す」だったのよw

 

それが、入学後によそから新しい校長がやってきてからは、今までの「文武両道」という校風が一変した。その校長は、自分の実績を上げたいためか? 口を開けば勉強、勉強とうちの親も言わないようなことをがみがみ言った。

ここで、自分の中である重大事件が起こった。
3年生に上がった直後に、私たちは講堂に集められたことがあった。その時に校長が、具体的には忘れたが、「今までのようにのんべんだらりとしててはいかん。心機一転して、受験勉強に本気で取り組み始めるように!」と生徒たちにいわゆる発破をかけた。 それを聞いた私は、(そうなんだ、今までのようにのんびりしてたらいけないんだ。。もっと頑張らないと。。)と自分に強く言い聞かせた途端、心の中でズーン、、という音がした。いや、どう表現したらいいかわからないが、本当にそんな音が聞こえたのだ。

私は、その時のことが今でも忘れられない。もう、講堂から引き上げる時の同級生たちが、一変してグレーに見えた。。私の中で、何かが永遠に変わってしまったようだった。

それ以来、私は鉛筆を持つと動悸がするようになって、文字通り机に向かうことが出来なくなってしまった。

いつも心臓に重しが乗っているようで、夜もちゃんと寝られなくなり、学校も休みがちになった。そこで、心療内科にも通った。

当時の担任の先生に泣きながら相談しても、「(その心境が)わかりませんねえ、、」と困った顔をするばかり。

そもそも、私のような真面目な子は放っておいても勉強していたので、いちいちもっと頑張らないと、とか気合を入れなくてよかったのに。たらればになってしまうが、あの時校長があんなことを言ってくれなければ、私のその後の人生は違っていたのかな、と思ったりする。

その1年は、本当に苦しかった。どう思おうとしてみても、心療内科から処方された薬を飲んでも、事態は一向に変わることはなかった。

それでも、とりあえず今の実力で受かりそうなところを受けてみたら、という母の勧めで、D女子大学だけを受けてみた。

高校の先生が、「(私が本来受けたかった)D大学に行っても、D女子大学に行っても、実は就職先ってそんなに変わりませんよ」と言ったことも後押しした。(後に、私の学年が就職氷河期に突入した第1期生となったことで、事情は変わってしまったのだが ^^;)

その合否通知が来た日ー。今も覚えている。「合格」の二文字を見た瞬間、胸の重しがウソみたいにスッと取れた! 気持ちがものすごく明るくなった。私にとっては、どこの大学でもよかったようだ。とにかく、この忌まわしい受験という心の枷(かせ)から解放されたということだけで、あれだけ毎日苦しかった心の病も一瞬で治ってしまった。

結果的に、行った大学は自分に合っていて、女子大ではいい友達も出来てとても楽しかった。また明るい自分に戻れて、本当に良かった。

その間、心配しながらもずっとサポートしてくれた親に感謝している。うちの親は、普通の地方公務員だけど、普段から無駄遣いせずに子どもを大学に行かせるだけの資金はずっと貯めていてくれた。おかげで、私も妹も私立で、妹は下宿までさせてもらえた。

安倍襲撃事件の山上徹也容疑者の家庭の話を聞くにつけ、彼が本当に不憫に思うし、うちもあんな母親だったら、、と思うと、空恐ろしくなる。どんな親の元に生まれるかは、本当に大事だけど、自分ではどうすることも出来ないから、親ガチャって言うんだな、本当に理不尽なことが、この世の中にはあるよな‥。と改めて思う今日この頃です。

 

 

 

 

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